この記事ではスペインの闘牛の成り立ち、闘牛とは? その歴史と現在を比較しながらスペインにおける闘牛文化について纏めています。
トピックス
スペインの闘牛の始まりから現在まで
闘牛を愛した有名人たち
闘牛は何世紀にも渡り多くのスペイン人にとって最大の祭事であり、喜びと楽しみの象徴でもありました。
19世紀のスペインを代表する宮廷画家ゴヤは大の闘牛ファンで、闘牛を題材とした多くの版画、油絵を残しています。20世紀のシュールレアリズムの鬼才サルバドール・ダリやジョアン・ミロも同じく大の闘牛ファンで、彼らは生涯に渡り闘牛をテーマにした芸術作品を多く残しています。
スペイン近代絵画の巨匠パブロ・ピカソに至っては、「El toro y Yo(闘牛と私)」と彼自身が表現したように、自他ともに認める大の闘牛愛好家でした。幼いころ闘牛が好きであった父親や叔父に連れられてよく闘牛を見ていたそうで、「ミサに行かないと闘牛には連れて行かない」と大人に言われると、「闘牛に連れて行ってもらえるなら(嫌いな)ミサにも何度だって行く」と答えるような少年でした。
そんなピカソは人生において「パエーリャ、(教会での)ミサ、売春宿に並び、闘牛はスペインそのものだ」、「スペイン人の生活とは午前中にミサに出かけ、午後は闘牛に出かけ、夜になると売春宿に通うもの」という言葉を残しています。そしてピカソと同時代を生きたフランスの作家アンドレ・マルローが「それら3つの共通点は悲しみである」と評しています。生涯闘牛を愛し、彼の代表作である『ゲルニカ』では傷ついた闘牛を描き、闘牛に戦争で傷ついた祖国を投影していたのではないかともいわれています。
多くのスペイン人にとってスペインの象徴であった闘牛は、多くの外国人も魅了してきました。
1923年に初めてパンプローナ(ナバラ)を訪れた若きヘミングウェイが、初めて見た牛追い祭りに魅了され、その体験をもとに『日はまた昇る』が執筆されたことはあまりにも有名です。また、ハリウッドの銀幕の大スターであり、大のスペイン好きであったエバ・ガードナーや、オーソン・ウェルズは特に闘牛が好きで、何度も闘牛観戦に足を運んだ姿が新聞に取り上げられています。オーソン・ウェルズは闘牛が好き過ぎて、自ら闘牛を開催し、闘牛士を努めたにほどでした。
実は闘牛に行ったことがある(写真が新聞や雑誌に掲載されたことがある)有名人の名前を挙げだすときりがないほどいるのですが、つまり、スペイン国外でもしっかりと「闘牛はスペイン文化」として受け止められていて、スペインを訪れるスター、超名人はほぼ皆足を運ばれている、ということでしょうか。
闘牛のルーツ
人々を魅了してやまない闘牛とはいったいなんなのでしょう。それを考えるために少しそのルーツについて触れておこうと思います。とうぎゅうとは
闘牛のことを一般的にはスペイン語で「コリーダ・デ・トロス」あるいは「フィエスタ・タウリナ」と言います。コリーダとは、「走らせる」こと。トロスは闘牛(トロ)の複数形で、つまり、複数の闘牛を走らせるお祭り、ということです。フィエスタは祝祭を意味しています。
闘牛とは一言で言うと、人間と牛との闘い、それらに纏わるすべての世界を総称してタウロマキア(Tauromaquia)と言います。
ところが、当のスペイン人にすら闘牛の始まり、歴史についてはっきりしたことはわかっていないと言われています。これまでに多くの研究者たちが闘牛のルーツを突き止めようと試みてきたのですが、はっきりとしたことを突き止める資料に乏しく、いまだ正確なことはわかっていません。
ある説では、恐らくタウロマキアというギリシャ語を起源に持つ言葉にルーツの鍵があるのではないかと言われています。タウロスはラテン語のタウルスから来た雄牛のことで、マキアがやはりギリシャ語のマコマット(闘う)を意味しています。つまり、ギリシャ文化を継承するローマ人たちがイベリア半島へやって来た結果、ギリシャに根付いていた闘牛崇拝文化を半島に持ち込み、やがては雄牛と対峙する、勇気を試す祭りに発展していったと考えられています。
一方、実はそれよりも古い時代、旧石器時代のころからイベリア半島では野生の牛を神聖化してきたという声もあります。それは、北スペイン、カンタブリアで発見された「アルタミラの洞窟」に描かれていた牛の壁画や、考古学的資料からそのように考察できるという説です。興味のある方は、マドリードにある国立考古学博物館にある「アルタミラの洞窟壁画」のレプリカを見て、牛の姿を観察されてみてはいかがでしょうか?壁画の牛は追われているのか?祀られているのか?
『ベナベンテの闘牛(カスティーリャ王フェリペ‘1世に献上)』1506年にフランダースの画家、Jacques van Lathem により描かれた作品。16世紀の初頭にはすでにこのように牛を取り囲み人々が騒ぎ立てる祭事が行われていたことがわる。
いずれにせよ、闘牛に纏わる文書はあまり残されていないようで、20世紀最大のスペイン人哲学者であり、闘牛愛好家でも知られていたオルテガ・イ・ガセットも、闘牛については「知るに値するようなことは何もわかっていない。」としています。
闘牛に関するスペイン最古の資料は、13世紀にクエリャール(セゴビア県)で行われた闘牛祭りの様子を記したもので、それによると闘牛士は馬上から牛を操り、危険を避けるためさらに数名で牛の動きを操ったりしていたとされています。騎馬上スタイルの闘牛をレホネオ(rejoneo)と言いますが、少なくとも16世紀末まではレホネオが主流でした。現在でも特別なスタイルとしてレホネオが行われることはありますが主流ではありません。
17世紀になると国民に娯楽を与えようという動きが目立つようになり、村や町の祭り、宮殿での娯楽として闘牛の開催が求められるようになります。この頃になると、これまで町の広場で行われ比較的誰もが参加できていたような祭り的な闘牛は囲いの中で行われるようになり、闘牛士と数人の優秀なサポーターが行う少数制のものへ変わっていきました。
ところが18世紀にはいりスペインがフランスのブルボン王朝の時代に入ると、こうして形が出来上がり、貴族、市民たちの間で広く受け入れられてきたスペインの闘牛は「野蛮・下品」とレッテルを張られ、王族、貴族間での闘牛の開催には徐々に規制がかけられたり、開催に税金が課せられたりするようになります。18世紀後半のカルロス3世の時代には、ついに闘牛禁止令まで発足されるまでになりますが、このような法令に闘牛を愛する民は従うどころか闘牛にさらなる価値を見出し、技を究め、首都から離れた地方都市で開催を続けたのです。スペインの国民たちは闘牛に一国のアイデンティティ、誇りを見出していたのではないでしょうか。
このように何世紀もに渡り培われてきた闘牛は、一時期禁止令が出され下火になりかけた時代もありましたが、20世紀の独裁政治では、闘牛が大好きであったフランコにより闘牛文化は保護され、1956年からフランコの死ぬ1975年まで、スペイン国営放送局にて闘牛の生中継が放映されていました。独裁制下のスペインは、あらゆる娯楽に国の検閲が入っていた時代。そんな中闘牛だけは全国放送が許されていたのには、フランコが闘牛ファンであったからだ、という単純な見方はもちろんできますが、当時の闘牛は現在のサッカーのような存在で、大衆を非直接的に顫動できる政治的要素としてテレビ放送が行われていたとも見られています。このことが、闘牛がスペインの国技、スペイン人がテレビや闘牛場で普通に見る娯楽、という事実を作り上げたことは間違いないでしょう。
闘牛とは?
人と牛の闘いとあるように、砂場に飛び散るのは火花だけでなく、血しぶきが飛びます。もちろんそれは闘牛士により殺められる雄牛の血が前提ではあるものの、時に闘牛士が雄牛の角にかかり、重傷を負い、または命を落とすこともあるのです。そのことを知らずに足を運ぶと、気の弱い人や血の苦手な人、動物の痛みを考えてしまう人は気分が悪くなるどころか、最後まで鑑賞できないでしょう。
確かにスペインの闘牛では最後に牛が仕留められ、命を失うもの。残酷、何も殺さなくても同様のショーはできるのではないか?所詮娯楽だろう?と多くの人が思われることでしょう。まさに動物愛好家たちが闘牛に反対する主たる理由は、闘牛を牛の殺し=虐待だと捉えているからです。
ところが、闘牛には強い魔力があるようで、一度その魅力に取りつかれてしまうとどうしてもその正体を知りたくなり、何度も闘牛を見たくなるようで、前述に記したように何度も何度も闘牛場に足を運んだスペイン人、外国人はとても多いのです。闘牛は人と牛の闘いとは言うものの、牛を殺すことが前提にあるので、決して両者の強さを競うものではありません。
では観客は何を闘牛に見出して魅了されるのでしょうか?恐らく一度ではわからないその「なにか」を知りたくなるのです。
闘牛士が牛に対峙するときに放つ気合、集中力、あるいは600キロ近くある雄牛を前に震えない勇気でしょうか。または死を目前に感じ取った時の闘牛の緊張感、恐怖でしょうか。その両者が向き合った時に生まれる渦のようなエネルギーは、テレビ越しでは決して感じられないものです。そこには必ず闘牛か闘牛士のどちらかの「死」が約束されているのです。
極力「死」を避け、死を想像しないような生き方を選んでいる現代社会で、必ず一つの命が終わることが約束されている場所、瞬間。それが闘牛です。
数年前に闘牛を育てる農場を訪れたことがあります。
牛たちは広い牧場に放し飼いにされていて、ほとんど人に近づくことはありません。牛の生活で人間は遠くにいる動物であり、命を脅かす存在ではありません。静かに草をはぐくむものもあれば、ゆったりと横たわり、その先にある運命とは対極の、調和に包まれ永遠に続きそうな景色にさえ見えました。
「こんなにおとなしそうな牛が、闘牛士の前では獰猛な闘牛に変わるのが信じられない。」
そう言った私に、オーナーが教えてくれた言葉が大変印象的でした。
「牛たちは闘牛場に連れていかれる前に、塀に囲まれた小さな仕切りに囲まれた出荷場へ移される。その時に、初めて闘牛に生まれ変わるのです。」
命を脅かす存在など皆無の平和な牧場から、急に小さな世界へ閉じこめられ、恐怖、不安、怒りといった感情を高められた闘牛は、やがて突然、光あふれる闘牛場に放たれるのです。平和な暮しをしていた動物の奥底に眠っていた野生が、闘牛場に放たれた時に呼びさまされる瞬間。そこには嗅いだことのない匂い。聞いたことのないほどの人間たちの声。
「見慣れたあの牧草はどこに行ったんだろう。一体ここはどこなんだ。この異様な雰囲気はなんなんだろう?どうすればいいんだ?」
闘牛のあふれる感情とエネルギーを闘牛士は一瞬で読み取り、その雄牛が「命」をかけて闘うよう、雄牛の野生、獰猛性、命に対する執着心を最大限に引き出すこと。それが闘牛士の役割であり、その役割を最高に美しく完璧に行うために瞬時に最高の技を選りすぐり、その全てを発揮しなくてはなりません。判断を一つでも間違えると命取りになります。そして600キロに近い巨大な闘牛が命を懸けて体当たりしてくる時、闘牛士もまた自身の命を懸けてエネルギーを放つ。
「かかってこい。お前に俺が殺れるか?お前に俺は殺せない。」
闘牛士と闘牛の、命を賭けた真実の物語、真実の瞬間。それが闘牛です。
スペインの闘牛場
こうして20世紀に闘牛が数少ない娯楽として、国の許可と保護を受けてきた結果、スペインには大小あわせて1700以上もの闘牛場が全国に建てられました。1700という数は、単純計算してもスペイン全国50県、各県に34以上の闘牛場があるということですから、相当な数であることがわかります。(現在はこれらの半分以上の闘牛牛場は閉鎖されています。)
一言で闘牛場といっても、すべてが何千人も収容できるような規模のものではなく、ミハスの闘牛場のような小さなものを含んでいます。闘牛場は収容観客数、設備、歴史などによって等級分けがされています。第1級闘牛場にカテゴライズされている闘牛場はマドリードのラス・ベンタス闘牛場、セビーリャのマエストランサ闘牛場に並んで、コルドバ、マラガ、バレンシア、サラゴサ、パンプローナ、ビルバオ、サン・セバスチャンの闘牛場が入ります。9つのうちの3つはアンダルシア、3つがバスク文化圏であるところが興味深いですね。
ちなみに、スペインで最古の闘牛場はカスティーリャ・イ・レオン州サラマンカ県のベハール(BEJAR)にある闘牛場で、ベハール市役所の記録によると1667年の建設だそうです。また、闘牛場と言えば丸いと思われるでしょうが、実は円形ではなく長方形、正方形、楕円形のものなども存在しています。
そして実は、スペイン以外にも闘牛文化を持つ国が他にもあるんです。例えばヨーロッパではスペインのお隣のポルトガルやフランス(特に南東部)ではスペインに次いで盛んです。スペイン人闘牛士たちもポルトガルやフランスの闘牛場へ巡業に行きます。他にはペルー、コロンビア、メキシコなど中南米世界でも開催されています。
世界最大の闘牛場は、1946年に完成したメキシコのモヌメンタル闘牛場で、その収容人数は4万1262人。東京ドームで野球観戦をすると4万5千人まで収容されるらしいので、ちょっと想像してみてください。それに次いで世界で2番目に大きな闘牛場は、これも実はスペインのものではなく、ベネズエラのモヌメンタル・デ・バレンシア闘牛場(1968年建設。収容人数2万5000人)です。
スペインの最大の闘牛場はマドリードのラス・ベンタス闘牛場ですが、世界3番目に大きな闘牛場になります。その収容人数は2万3798人なので、世界最大には全然及ばない大きさでしたね。
根強い闘牛ファンのいるカスティーリャ・イ・レオン州トロ市の闘牛場
スペインの闘牛の現在は芸術?娯楽?それとも産業?
今でこそサッカー場が増え事情は異なってきましたが、闘牛場は多くの場合その町、村の中で一番の収容人数を誇る建物であることがほとんどでした。そんな大きな興行施設を一年中黒字で維持することは、とても大変で、事実多くの闘牛場が閉鎖状態に追いやられています。閉鎖に追いやられるのは経済的理由だけではなく、政治的理由であったり、闘牛反対運動の圧力であったり、世代の交代で闘牛以上にサッカの人気が定着したなどがあげられます。
バルセロナ市の中心、スペイン広場にあるラス・アレナス闘牛場は1900年に建設され、観客数は1万9千人を超えるなかなか大きな闘牛場でした。当時のバルセロナ市にはスペインの各地、特にアンダルシアやエストレマドゥーラなどから職を求めて多くの人が移住してきていたため、町の人口は増加するにつれ、19世紀からある闘牛場が手狭になったため、新たにラス・アレナス闘牛場が立てられことなったのえす。前述した通り、フランコ独裁政治化では闘牛文化はもてはやされ、保護されてきたものの、フランコが亡くなったことを機に、カタルーニャ全体での闘牛熱は下火となり、1977年を最後に行われた闘牛を最後に闘牛は行われくなりました。その後30年闘牛場は閉鎖、放置されたままでしたがついに2011年に、アレナス・デ・バルセロナというショッピングセンターに生まれ変わりました。
ショッピングセンターができた当初、「取り壊されずに済んでよかった」と観光業界仲間の間では口々に言い合ったものでした。というのも、スペイン国内、特に近代化の進む都会では、徐々に「闘牛反対」という声がニュースにも上がるようになってきていたからです。バルセロナを訪れる度に、「こんなに美しいネオムデハル様式の建造物が取り壊されるのは悲しいなあ」と個人的に思っていたので、ショッピングセンターに生まれ変わると聞いて正直驚きましたが、取り壊されるよりはずっとよいと思って安堵したのでした。バルセロナのあるカタルーニャ地方は全体的にスペイン的なものを排除する傾向が年々強くなってきているので、フランコの独裁時代の産物のように見られる闘牛を毛嫌いする傾向が特に強いのかもしれません。
一方で、パスク地方の闘牛文化には、同様に興味深い歴史があるので少しご紹介しておきましょう。
意外かもしれませんが、バスク地方を代表する観光地のサン・セバスチャンは歴史的に闘牛の人気、高い街の1つなのです。1851年に最初の闘牛場が建てられて以来、現存する第1級イリュンベ闘牛場(別名アレーナ2016)を数えて実に12もの闘牛場が建てられてきました。サン・セバスチャンの闘牛場にはヘミングウェイはもちろん、チャールトン・ヘストンやチャールズ・チャップリンなど数々の著名人も闘牛観戦を楽しんだことでも知られています。ところが新たに闘牛場の建て替え計画が持ち上がり、1972年に開催された闘牛を最後に当時の闘牛場は解体されました。その後国の政治体制の移り変わりに翻弄され工事は予定通りに進まず、1986年のアレーナ2016の完成を待つこととなりました。闘牛文化が25年間も中断されていた土地に、再び闘牛が戻って来たのには多くの闘牛ファンを熱狂させましたが、これにはカタルーニャにはない背景が深く関係しています。
19世紀頃からすでに観光地として知名度を上げ始めていたサン・セバスチャンで、観光客を楽しませる余興の1つに闘牛がありました。これに目をつけたホセ・アラナというサン・セバスチャン出身の投資家が、バケーションシーズンのピークである8月の半ばに、闘牛祭りを本格的に観光資源としてプロモーションを始めたのです。その目論見は見事に当たり、年々開催されるセマナ・グランデの人気は高まりバスク地方の外にも広がっていくようにりました。
今でもセマナ・グランデはサン・セバスチャンとビルバオで毎年8月半ばから1週間、闘牛、野外コンサート、屋台、移動遊園地などが開催され、バスク地方最大のお祭りとしてスペイン国内外から多くの人が集まります。セマナ・グランデの正式なプロモーターであり、闘牛のプロモーターでもあったホセ・アラナの影響力がいまだに地方経済に強く残っている例の良い一つでしょうか。セマナ・グランデの任期と知名度ガここまで大規模になっていなければ、バスク地方の闘牛ももっと下火になっていたかもしれません。
このように地方により、闘牛のあり方、一般市民の受け取り方も様々です。年々闘牛の開催そのものを反対する運動は強まっているようにニュースを見ていても感じるのですが、実はこれも今に始まったことではない動きなのです。闘牛にはいつも反対する声が付いて回って来たのですが、「動物の権利はどうなっているのですか?かわいそうではないですか?」というお涙物では簡単に闘牛文化はすたれない、とスペインに20年以上暮らす筆者は思っています。
その理由は、闘牛はスペインに置いて文化・娯楽であると同時に、立派な産業だからです。
スペインの闘牛開催者協会(la Asociación Nacional de Organizadores de Espectáculos Taurinos)によると、闘牛士の数はおよそ11400人、闘牛を育てる農家の数は895件、闘牛学校の数63校、闘牛業界で働く人の数およそ5万4000人、1年の興行収入はおよそ45億ユーロ(2017年)と公表されています。日本円にすると5864億円以上。どれだけ小さく見ても、7万人とその家族が何らかの形で闘牛に携わり生計を立てているのです。
動物愛護協会の圧力が強まろうと、市民からの反対の声が上がろうと、大手ABC社がかつて表現したように、”闘牛はエコロジー、文化、経済という3つの分野をカバーする重要な産業であると”と政治家たちは闘牛産業を守ろうとするでしょう。いえ、どうにか守らないとユーロという大きな産業が潰れてしまい、7万人が路頭に迷うのです。この数字はスペインのGPDでは0.5%以下ですが、闘牛産業が根強いカスティーリャ・イ・レオン州では1.5%になると言いますから、そう考えると、文化を守ることがどれだけ大変で、かつ重要であることが少しだけ理解できますね。そしてまた、もしもこのまま闘牛文化が廃れていってしまったら、どうやって雇用を生み出していくのかといった大きな課題も見えてきます。
1世紀以上も昔に「闘牛文化をもっと大きく(グランデ)にしよう」と思ったホセ・アラナが、21世紀の闘牛文化のあり方を見据えていたかはどうかはわかるりませんが、少なくとも大きなフェリアと直接結びついている闘牛祭りは、これから先、たとえ闘牛を殺さないなどルールが変わっていったとしても文化として生き続けてもらいたいな、と筆者は思っています。
マドリードでの闘牛シーズンとチケットの入手法
実はそのようなお声はまだまだたくさん耳に届きます。ですので、最後にマドリードの闘牛開催時期とチケットの一般的な入手方法について触れておきます。
例年闘牛は3月の第3または第4日曜日に始まり10月の半ば頃までとされています。ご注意いただきたいのは、闘牛は毎日開催されているものではない、ということです。(命を扱う興行ですからね。)スペインで一番有名な闘牛場は前述の通り、マドリード市のラス・ベンタス闘牛場ですが、ラス・ベンタス闘牛場はシーズン中ほぼ毎週日曜日に開催されています。
ラス・ベンタス闘牛場の公式ページ:こちらで興行日を確認できます。
スペイン全国で開催される闘牛・闘牛に関するイベント開催日はServitoroという政府公認のチケット販売ページで確認できます。
チケットの購入はWEBサイトから可能です。
なお、闘牛開催期間にタイミングよく開催都市に行けない、という場合は、ラス・ベンタス闘牛場の見学ツアーなどに参加すれば、少しは闘牛の世界に近づくことができるでしょう。(何となく、ローマのコロッセオ見学に通じる部分があります。)
今日も最後まで読んでいただき有難うございました。
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