スペインの自治州の数
現在のスペインは17の自治州からなり、それらはさらに50の県に細分化されています。17の自治州とは次の通りです。
カタルーニャ(4県)、アラゴン(3県)、アンダルシア(9県)、ナバラ(1県)、バスク(3県)、カンタブリア(1県)、ラ・リオハ(1県)、アストゥリアス(1県)、カスティーリャ・イ・レオン(9県)、ガリシア(4県)、マドリード(1県)、カスティーリャ・ラ・マンチャ(5県)、エストゥレマドゥーラ(2県)、アンダルシア(8県)、バレンシア(3県)、カナリアス(2県)、バレアレス(1県)
スペインが位置するイベリア半島
自治州という区分けは日本でいう関東地方とか関西地方という区分けに相当してると思いますが、完全に一致しているわけではありません。
スペインの自治州は、制度が誕生するまでの歴史的背景、立場、民族性や文化性を尊重して、それぞれの主張と中央政府の意向、相互利益などが何度も慎重に協議され、意見が交わされた結果、成立していった制度で、いわば中央政府、つまりスペイン国家との間に取り交わした権利、契約のようなものだとも言えます。
なぜこのようなことが必要となったのでしょうか?
イベリア半島は、スペイン王国と呼ばれる一国が建国されるずっと前から、さまざまな民族文化とその伝統、習慣が重なりあり、個性豊かな都市文化、都市社会が発達した土地でした。古くはフェニキア人やギリシャ人が町の基礎を作り上げ、その上にローマ属州としての都市がいくつができ、その発展とともにキリスト教文化が発展していきました。歴史の流れの中で、さらにはイスラム教文化、ユダヤ教文化が入り交じり、融合していった中で、現在のスペインの地方都市の基礎が固まっていきました。そういったすべてのことが、現在の行政区分上、自治州と呼ばれている制度の基盤となっていったのです。
こういったことを今より良く知らなかった筆者は昔、「アンダルシアこそ一番スペインらしい地方」だと自分の中では思っていました。ですがスペインのあちこちを訪ねて行くうちに、地方ごとに人々の生活習慣、文化はもちろん何よりも歴史的背景が違うことを知り、当時のその思いは一方的な押し付け、受け売りであったのかもしれないと感じるようになったのです。
スペインの自治州の特徴
スペイン王国は、20世紀になると3年続いた内戦(1936年~1939年)を経たのち、36年間(1939年~1975年)もの間、フランコ総督による独裁政権下にありました。フランコの死により独裁政権が崩壊すると、スペインは立憲君主制を復活させ、中央議会制度を整えていきます。スペインの近代化への道の1つとして進められたのが自治州制度です。
自治州制度は一気に整ったのではなく、1978年に制度ができ、それ以降1983年まで数年かけて17の自治州が認められて行き、1995年にセウタとメリーリャの2つ(ともにアフリカ大陸にある)の自治都市が加わり、それが現在の体制として一旦完結しています。とは言うものの、歴史的背景があまりにも複雑なため、21世紀に入った今でも、事あるごとに「独立してやる~!(まるで進撃のエレンの口癖みたい。)という動きがあのも事実です。
各自治州には民選による議会と首相が建てられ、中央政府から与えられた権限の中で統治しています。 こういったことが、スペインは一つの顔を持たない、一つの国ではない、と言われるよく言われる所以で、逆に言えばスペインは個性豊かな地方都市が集まった国であることが理解できます。
興味深いことはどの地方都市に行っても、数世紀も昔の住民の社会的営みに欠かせなかった大聖堂、教会、広場などが、現在社会でも欠かせない場所としてその多くが現存し使われ続けているということ。近代化が遅れている、という見方もできますが、むしろスペインの地方都市にこそ歴史が生き続けていると見たほうが、それぞれの都市の魅力を発見できるでしょう。
マドリードやバルセロナのような大都市であっても、100年以上昔に創業した店が今でも多く現存し、数世紀前に建てられた大聖堂や教会は変わらず人々の祈りの場所してい開放されています。また中世の宮殿や建物が21世紀の生活をサポートする場所、例えば市役所や自治州管理局として利用されていたりします。こういった大都市であっても、国全体で見れば都市の姿としては1地方都市に変わりはなく、それぞれの都市がそれぞれの個性に彩られているのです。私は「スペインは万華鏡のような国」とよく表現するのですが、まさに地方ごとに色とりどりの魅力が溢れていると感じます。
バスク自治州の特徴
バスク自治州は行政的にビトリア、ビルバオ、サン・セバスチャンという3県で成り立っていますが、実は、バスク文化を継承する地方は他にもあります。
牛追い祭りで有名はパンプローナはナバラ州の州都であり、かつてのナバラ王国の首都であった街です。ナバラ王国は1512年にカトリック両王によってカスティーリャ王国に併合されるまで、600年近く独立を守って来た誇り高い国であった背景があります。そういった点からすると、ナバラは文化・伝統的にはバスク文化の地方ですが、行政的にはバスク地方の他の地方都市よりもバスク地方ではないため、それを知らずにパンプローナやナバラ地方の他の街を訪ねると戸惑うことになります。
ちなみに、ナバラは野菜がとってもおいしい地方なので、特に旬の春野菜が取れ始めるころに出かけると、おいしい野菜料理がたべらので本当におすすめです。
カタルーニャ自治州の特徴
またカタルーニャ地方のように歴史的にはバルセロナ伯領と呼ばれていた地域がアラゴン王国に取り込まれたケースのように、歴史的に特別に独立傾向の強かった地方が時代の流れでスペイン王国に取り入れられてきた為、他より大きな自治権が認められている地方もあったりします。事実、1978年憲法発足との翌年に、カタルーニャ自治憲章が承認され、カタルーニャ自治州が認められるようになりました。
その他自治州の特徴
例えばガリシア地方はかつてはケルト民族が暮らしてた地方ですし、アンダルシアにはイスラム文化が花咲き、長い間優勢文化としてイベリア半島の広大な領地を治めていました。バスク地方にはいつからかは今でもわかっていませんが、バスク民族が暮らしていましたし、カタルーニャ地方には文化、精神的に、言語的にもフランスに近い文化が根付いています。実際のところ、アンダルシアを旅した後に、マラガから飛行機でバルセロナに飛ぶと、街の雰囲気があまりに違うため、初めてスペインを訪れる人は本当に驚かれるでしょう。カタルーニャ語継承にも以前より力を入れている現在は、バルセロナ市で街を歩いていて聞こえてくるのはカタルーニャ語ばかりですし、バスク地方に行けばバスク語しか話さない高齢者に出会ったりするものです。
余談ですが正直、こうゆう雰囲気があると、カスティーリャ語=スペイン語で話しかけると、外国人の私であってもあまり優しい目で見てくれない人に当たるのんじゃないかと、簡単に話しかけにくいなあと思うことも多々あります。(空気を読めるって怖い。)
スペイン語を学んでいると、「スペインは一つではない」というようなことを聞かれたことがあるかもしれませんね。筆者自身もスペインを知り始めたころはピンとこなかったことですが、スペインの行政区分の線引きやその背景を知ればどうしてそうゆうことが言われる理由が少しわかってくるかも知れません。
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