スペインLOVERの皆様、こんにちは。いかがお過ごしですか?
旅は変える。人を。世界を。
壮大なスローガンのもと去る9月22日~25日の4日間東京ビッグサイトにて開催されていたツーリズムEXPOジャパンは、前年を上回る185,500人という来場者数を記録して幕を閉じました。読者の中には足を運ばれた方もいらっしゃるかもしれませんね。今年は光栄にもスペインの扉はスペイン政府観光局、とりわけスペインの扉の得意分野・地方であるカスティーリャ・イ・レオン州のプロモーターとしてお仕事を頂きました。手前味噌ではございますが、盛り上がりましたねぇー。そこで、今回はスペインの扉東京滞在の中でもファースト&最重要ミッションであり、州にとってはツーリズムEXPOジャパンの前夜祭でもあったプレゼンテーションの内容に触れさせていただこうと思います。
日本とスペインとの交流の始まり
スペインには国の代名詞となってきたフラメンコ、闘牛、ひまわりだけでなく、マドリード以北の北半分に、まだまだ知られていない美しい町や村、長い歴史と文化が多くあります。その多くを占めるカスティーリャ・イ・レオン州とスペインの扉の願いはその魅力を少しずつ日本の皆様にお伝えしてしていくこと。
そんな思いをお届けするファーストステップとして、9月21日の午後、東京セルバンテス文化センター内オーディトリウムにて、州の観光プロモーションのプレゼンテーションを行いました。(ちなみにセルバンテスセンターでは、随時スペインとスペイン語関係のイベントが開催されていますので、こちらのサイトはマークしておられるとよいことがたくさんあること間違いなしです。)
プレゼンテーションは、1609年、当時のスペイン領であったフィリピンの臨時総督に就いていたドン・ロドリゴが現在の千葉県の田尻の浜に漂流したところに触れることから始まりました。地元民に手厚い保護を受けた礼に、徳川家康に友好的な書簡を送ったという記されています。ドン・ロドリゴは日本を離れた後数々の公務をこなし最後はカスティーリャ・イ・レオン州の州都Valladolid-バジャドリードにて死去。あまり関係のないように見える導入でしたが、バジャドリード(Olmedo-オルメド村)では過去に「Hidalgos y samurais(郷士と侍)」というタイトルでこの史実を取り上げた展示会が開かれていますので、これから両現地間で交流が始まればよいなという、同州の願いが込められていました。
1613年、仙台藩の伊達政宗が家康の許可を得てフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、家臣の支倉常長を副使として慶長遣欧使節団(ページ最後補足1参照)を派遣。正式には、一行がミッションの途中同年スペインにも滞在したことが両国間の正式な交流開始の原点とされているようです。事実、2013~2014年は日本スペイン交流400周年にあたり、両国内でさまざまなイベントが開催され、盛大にお祝いされたことをご記憶の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
スペイン最大の自治州-カスティーリャ・イ・レオン
ではカスティーリャ・イ・レオン州(補足2参照)はどこにあるの?どんなところ? というのがプレゼンテーションの主な内容だったのですが、ご出席いただいた方々のためには備忘録として、ご参加されなかった新しい未来のカスティーリャ・イ・レオンLOVERの皆様のためには、改めてご紹介させていただきます。
スペインの総国土面積が504,7825km²の中カスティーリャ・イ・レオン州の総面積は94,226 km²。なんとおよそ5分の1を占めるスペイン最大の自治州です。これは近郊のオーストリア、やチェコ、オランダ、デンマークなどの一国より大きいのですから、ちょっと驚きますよね。
そうゆうわけで、世界で52位という国土を誇る大きな国の5分の一を占める自治州領地内で繰り広げられた歴史の足跡というのは、一度に辿りきれないことはご想像いただけると思います。
現在のスペイン王国(Reino de España)という国号が成立したのは19世紀の初めのことで、それまでスペインとはこの地方をさす俗称に過ぎなかったというのが一般的な理解のようです。そのスペイン王国で、1979年憲法により自治州制度が国内に導入された際に、後のカスティーリャ・イ・レオン自治州の土台となるカスティーリャ・ビエハ(旧カスティーリャ)という新たな行政地区が誕生しました。ずいぶん最近ことですね。
スペインの歴史を理解する上でカスティーリャ・イ・レオンが最も重要な理由
イベリア半島には大昔から多くの宗教、民族の異なる王国が存在していましたが、1469年、中でも勢力の強かったAragon(アラゴン王国)のフェルナンド2世とCastilla(カスティーリャ王国)のイサベル1世の結婚成立によりイベリア半島の勢力は急激に統合されていき、その後このカトリック両王の下、現在スペイン王国の原型となる統一国家が作り上げられていったのです。
そういった歴史的背景こそが長年多くの研究者達の間でカスティーリャ・イ・レオン州こそスペイン王国の歴史的発祥地、その公用語であったカスティーリャ語こそが世界で多く話されているヒスパニア語(またはイスパニア語)の発祥の地であると主張される由縁でしょう。事実その主張は1983年、正式なカスティーリャ・イ・レオン自治州の誕生と共に自治州規款(Estatuto de Autonomía)でも認められました。
カスティーリャ・イ・レオン = 歴史と文化の自治州
このような自治州約款とスローガンの下、新たに歴史と文化を守り伝える名誉を得、現在に至ります。
カスティーリャ・イ・レオンの魅力
スペイン国内には現在17の自治州があり総勢50の県が各自治州により治めれています。各自治州は独自の自治州法令に従って行政を執り行いますが、カスティーリャ・イ・レオン州はスペイン国内で唯一「歴史と文化の自治州」という定款を認められいる地方。アビラ、セゴビア、サラマンカ、ソリア、バジャドリード、レオン、ブルゴス、パレンシア、サモラの9つの県から成り立っています。
今回のプレゼンテーションでは各県の特徴や独自の魅力については時間の都合上言及できなかったのですが、皆様に知っていただきたいポイントにまずは集中してお話をさせていただきました。

サモラの旧市街と町を横切るドゥエロ川の風景。サモラは大き過ぎず小さすぎずない適度な広さ。古い歴史と近代近代化がいち早く進んだという20世紀の発展振りも同時に楽しめる素敵な町。暖かい人たちに溢れ、スペイン初心者でも海外長期滞在初心者でも安心して長期滞在を楽しめられる理想的な町ですね。神戸出身の筆者にとっても魅力的で居心地満天の町でした。
ポイント1 - スペイン語を学ぶに最適な地
カスティーリャ・イ・レオンがスペイン語を学ぶ上で最適だと強調させていただいた最大の理由は、その源流である美しいカスティーリャ語が話されていることに加え、広大な面積に反して人口密度は低くゆったりとした滞在をお約束できる点であると思います。概してカスティーリャの人々はいかにも内陸的で厳粛な人間性だと言われていますが、一方ではホスピタリティーに富み、大変親切であることも特徴のひとつです。これはこの地方と切り離せないサンティアゴ巡礼との歴史にも関係が深いかも知れませんね。
欧州で最古の5大学のひとつでもあるサラマンカ大学は日本の留学生の間でも大変人気のある町です。筆者もこの町に学生当時滞在したことがありますが、落ち着いている中、学生の活気にも溢れとても魅力的な留学先でした。でも今回はサラマンカ以外にも各自のスペイン語習得目標レベルに合わせお奨めしたい魅力的な都市があることにも触れておきます。
ポイント2 - ワイン好き、エノツーリズムに最適の地
2016年にCECRVが公表したデータによるとスペイン国内では700,000ヘクタールがブドウ畑。州政府の公表しているデータによると同州のブドウの栽培地面積は70,000ヘクタール以上というからこれは全国の10分の一に値します。かつこのうち60%がDOワイン生産地として認められているのですから、良質スペインワインを楽しむ地として最適(補足3参照)といっても過言ではないでしょう。
カスティーリャ・イ・レオンの旅はワインなしにはありえない、ですよね。
プレゼンテーションではお話ししきれなかったので、カスティーリャ・イ・レオンの現在登録されているDO産地を以下ご紹介しておきます。
BIERZO(ビエルソ / レオン県)
CIGALES(シガーレス / バジャドリード県)
RIBERA DEL DUERO(リベラ・デル・ドゥエロ /ブルゴス、セゴビア、バジャドリード、ソリアの4県)
RUEDA(ルエダ / バジャドリード、アビラ、セゴビアの3県)
TORO(トロ / サモラ県)
ARLANZA(アルランサ / ブルゴス、パレンシア2県)
TIERRA DEL VINO DE ZAMORA(ティエラ・デル・ビノ・デ・サモラ / サモラ県)
TIERRA DE LEON(ティエラ・デ・レオン / レオン県)
ARRIBES(アリベス / サラマンカ、サモラ2県)
ポイント3 - カスティーリャ・イ・レオンを通らずして聖地に至らず
今スペインの観光として、またはスペインとは関係なくして、とにかくスペイン北端にあるキリスト教の3大巡礼地にあたるサンティアゴ・デ・コンポテーラを目指す巡礼の旅がじわじわと人気を集めてきています。その巡礼地を目指す正式な道は数種存在していますが、巡礼者のための公式案内サイトで公表されているデータによると一番人気の高い道はフランス人の道。巡礼者の65%以上がこの道を選ぶのですから、まさに巡礼の王道と言えます。フランス人の道はフランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからサンティアゴまでのおよそ780kmの道のり。そしてそのうちの半分の道のりはカスティーリャ・イ・レオン州を通り抜けることになります。
道中にはブルゴスやレオンのような大きな町から、ガウディの建築で有名はなアストルガ、ロマネスクの名教会のあるフロミスタ、十字軍(テンプル騎士団)の居城の町-ポンフェラーダなど見所を数え上げると際限がありません。
何も巡礼の道をすべて踏破できなくても、巡礼気分を味わいつつ、こういった名所を訪ね歩ることができるのも、カスティーリャ・イ・レオン地方の大きな魅力だと言えるでしょう。
ポイント -4 カスティーリャ・イ・レオンと打ってロマネスクの鐘響く
最後に忘れてはならない最大の魅力はこの地方はロマネスク様式建築の宝庫であるということ。前述のフロミスタのサン・マルティン教会を初め、聖歌隊と聖なる回廊と呼ばれロマネスクの最高傑作と言われる回廊を持つサント・ドミンゴ・デ・シロスの修道院、また当時はレオン王国の首都であり、巡礼の拠点でもあった現在のレオン県首都に残る王家の霊廟となったサン・イシドロ教会、そして世界中のロマネスク建築様式の研究者やファンが多く訪れるサモラ県に健在する22のロマネスク教会群など特筆に価するでしょう。
筆者にとって知れば知るほど魅了される地方とは、たぶんこのカスティーリャ・イ・レオン地方を意味しています。いつも以上に熱がこもってしまってずいぶんと長くなってしまったので、エキスポアテンドのあとがきはvol.2に収めることにいたします。お楽しみに~。
今日も最後まで読んでいただき有難うございました。
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補足:
1.慶長遣欧使節団についてのとても詳しく紹介されているサイトがあります。スペインの扉との活動とは無関係ですがとても参考になりましたので、興味を掘り下げられたい方はこちらからどうぞ。
2.ウィキペディアにかつてのカスティーリャ王国が中世どのような遍歴を辿り、どのように領土が変化していったのかがよく分かる地図が掲載されています。こちらも面白いのでよろしければこちらからどうぞ。
3.スペインワイン? まだよくわからな~いでももっと知ってみたいというワイン好きの皆様に。ご存知かも知れませんが、スペインワインのことならこちらのサイトはスペインワインに最高級の愛が感じられるので、スペインの扉が勝手にお奨めさせていただくことにしました。スペインワイン、発見! すばらしいサイトを作ってくださってきて本当に一スペインLOVERとして感謝いたします。
私も昔から、なんでカタルーニャ バルセロナばかり注目されるのか、不思議に思っておりました。英米文学者のえこひいきでしょうか。
やはり、まず中心をみないとね。日本なら、京都と奈良と東京、をみないようなものだと、感じておりました。
ワインはいいですね。愛飲しております。まあガリシアやバスクの料理も良さそうですけどね。
若ければ、スペイン語の鍛錬にトレドやサラマンカに長期滞在するところですが、なかなかそうもいきません。
山科様
こんにちは、お久しぶりです! コメント有難うございました。
そうなんですよね。これまではツアーを作る、売るという便宜上表面的な一筆書き
の内容でしかスペインが語られてこなかった。それが長年私の中でも疑問とフラストレーションに
なっておりました。それが市場の法則、消費者の求めているものであるのであれば仕方がないですが、
実際のところそれだけではなく、ただ知られていない、情報が届いていない、という実情も
もちろんありますね。ですので、誰かがやらなければ。
バルセロナは華やかな町ですから、歴史に興味がなくてもヨーロッパ、外国旅行気分を盛り上げるには
最高の町ですよね。でももっとそれ以外のスペインがあるんだよ、仰るように中心、歴史の流れから捕らえる
とこんなに奥深いんだよ、ということが少しずつ知ってもらえればいいな、と思いますね。