スペインのイメージは?闘牛、フラメンコ、ひまわり、パエージャ、タパス、ピンチョス?ですが実際には、スペインを知れば知るほど、これらのキーワードはどれも「スペイン」を代弁し切れていないということに気が付きます。では一体スペインはどんな国なのでしょうか?
まずは基本データーをもとに、スペイン王国の基礎知識に触れてみましょう。
スペイン基礎知識1.基礎データ
正式名称 | スペイン王国 | レイノ・デ・エスパーニャ(現地語) |
---|---|---|
首都 | マドリード | スペインで最大の都市 |
面積 | 50万6000㎢ | 日本の約1.3倍。世界では第50位の広さ |
人口 | 約4710万人(2021年推計) | そのうち約10%が外国人。全体では男性が約2309万人、女性は約2401万人。日本の総人口(1億2615万人)の約1/3弱。 ※補足:スペイン在留邦人数 8192人(2017年統計) |
主要言語 | カスティーリャ(スペイン)語、カタルーニャ語、バスク語、ガリシア語、バレンシア語など | 公用語はカスティーリャ語ですが、地方によってはパブリックスペースの表示に地方の言語+カスティーリャ語の2言語が使われています。 |
主要宗教 | キリスト教(大部分カトリック) | 法律では宗教の自由は認められています。少数ですがイスラム教、ユダヤ教信者も暮らしています。 |
政体 | 立憲君主制(議会君主制) | |
現国王(国家元首) | フェリペ6世 | 2014年~ |
スペイン基礎知識2.スペイン王国はいつからある?
私たちになじみのある「スペイン」という国名を漢字では「西班牙」と書き、略式では「西」と表記されます。スペイン語もよく西語と表記されています。このスペインという国名は英語のSPAINから来ていますが、スペイン語ではエスパーニャ、正確にはエスパーニャ王国(Reino de España)と言います。
ところがスペイン王国、エスパーニャ王国という名前が正式な国号と決定されたのは1984年で、かなり最近のことなのですね。
現スペイン王国のあるイベリア半島は実に様々な権力、国家によって支配さえてきたため、1975年に独裁政権時代が事実上終わり、ブルボン家からスペイン王が復位したものの、独裁政権に強く反発していた国民は権力が1つに集まることを恐れていました。強まる民主主義勢力はこれから国の将来は国民の決断に委ねる、つまり強い議会制、民主国家を築くことを目指していたため、国号を安易に決定しかねていたそうです。そのような背景の中、近代化、民主化を求め強まる市民運動とともに、民主主義勢力の下およそ40年ぶりに国会が再開され、1978年にスペイン憲法(1978年憲法)が成立しました。
憲法の成立とともに、国王は「国の象徴」、国を治めるのは議会(つまり国民)という一つの国家としての枠組みが固まったのですが・・・
国名きまってないじゃーん!
何しろこの国は、スペイン国、スペイン帝国、スペイン共和国、スペインなど時代や国際舞台によって異なる名称で呼ばれてきていたのです。世界の表舞台に出て行くには国号を定めないことには始まりません。そこでこれまで諸外国が使用してきた「スペイン」という名称を国号と認め、同時に王家もないがしろにしないという意思表示として、「スペイン王国」としても問題ないだろうという判断がなされ、1984年に正式に「スペイン王国」となりました。
スペイン語で読んだ歴史書などによると、スペイン王国の建国は1479年1月20日。カトリック両王がグラナダのアルハンブラを制覇し街を明け渡して正式にカスティーリャ・アラゴンの領土になって以来とされています。以来大航海時代、黄金時代、大帝国時代を迎えるものの、その後衰退の道をたどり、不安定な情勢が続きました。近代に入り立憲君主制、共和制、独裁制などの政治体制を辿り、20世紀に王政復活、民主化の実現、そして現在に至っています。
スペイン基礎知識3.スペインという名前の由来
ところで、「スペイン」という呼び名はいつから使われていたのでしょうか?いえ、間違いのないように言い直しましょう。「エスパーニャ」という名称はいつからあるのでしょうか?
これには諸説あるようです。
イベリア半島は地下鉱物資源が豊富で、かつて、現在のスペイン領土にある金、銀、銅などの鉱物資源を求めて、多くの人種が半島にやってきました。(特に世界文化遺産ともなっているカスティーリャ・イ・レオン州のラス・メドゥラス金鉱山跡は有名)また、地中海の制海権を求めても多くの人種が半島にやってきました。一説ではローマ人達がイベリア半島の地全体をHispania(イスパニア)と呼んでいたと言われていますが、その言葉の元をたどると、ローマ人より先にイベリア半島にたどり着いていたフェニキア人がこの地を「 i-spn-ya」と呼んでいたところ、ローマから見たイベリア半島全体がこう呼ばれるようになったという説が一般です。
一方で、セビーリャ近郊にあるローマ帝国時代に作られたヒスパリスという街の響きが、時代とともに「Hispalis => Hispania =>España」に変わっていったと説く専門家もいます。
最近では、言語的にチェコ語の「統一、統合-union」を意味する「spojeny」が、事実上イベリア半島の状態を指しているのではないか?だからチェコ語から派生してエスパーニャとなったという説を主張する専門家もいます。
事実はどうであれ、最近のチェコ語の「UNION」説は、事実上合衆国のような本質を持つスペインにはふさわしい由来だな、と個人的には感じています。
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『スペインの自治州』では広大な領土をもつスペインが行政的にどのように管理されているのか、その歴史的背景や文化的背景、また現状について、筆者の感想を交えながら纏めています。
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